人類が破滅するほどの火山爆発を
破局噴火という。
幸い、ここ7,300年間
我々人類にこの大災害は起こってない。
この7,300年が長いとみるか短いと見るかは
あなた次第である。
写真は名もなき神社だ。
大昔は山の奥々に女神を祭る神社が鎮座し、
この手前に男神を祭る神社が建てられた。
いつの時代かは皆目わからない。
この男神を祭る神社も舗装してない地道を
ジープで数時間走らないとたどり着けない。
この神域はスサノオの時代から変わらぬ
荘厳な空域なのだ。
日本の考古学は実に面白い、不可解極まりない世界だ。
例えば、弥生時代とは、いったいいつを指すのか?
実はいまだに確定出来ていない。
おおよそBC400年~AD250年ではとの事?
たった650年という事なんだろうか。
ここに失われた100年が続く。
いわゆる266年から413年の事だ。
大陸に倭の国の情報が消えた147年間のことである。
ふる出雲はここを指すのが一番=魅力的ではあるのだが
考えれば考える程、つじつまが合わなくなる。
今から3,600年前=縄文時代に‘ふる出雲地区’にとっては
破壊的大爆発が起こり
このあたりに住んでいた縄文人は全滅したと思われる。
佐毘賣山(さひめやま)大噴火からの回復には、
優に500年はかかったであろう。
そこにようやく少しづつではあるが人々が移住し
様々なものをもたらした。
人々が各地でリーダーとなったことは
想像にたやすい。
しかし、ここで事件が起こる。
またもや、記憶されるに十分な大爆発がおきる。
今から3,000年前だ。
勿論、この大爆発も破局噴火ではなく
3,600年前と比較しても小規模で
被害もさほどではなかった。
夜の’ふる出雲‘を怪しく赤々と照らした小規模噴火であった。
シャーマンは、その様子を口伝えで伝承した。
火神岳(ほのかみだけ)と。
食料が極めて穫れないこの土地で
縄文人たちは2,000年ものあいだ
細々と確実にDNAを次世代に受け渡していく。
翡翠の勾玉を胸に。
分岐点はどこだったのか?
一つの重要なポイントはここではないか?
縄文時代も終盤に近づくBC1,000年ごろ
ここで‘ふる出雲’に確実で飛躍的な人口爆発が起きる。
稲がもたらされるのだ。
縄文末期から弥生時代に入る頃には
大陸から、半島から、南洋からの移住者が
様々なものをもたらす。
‘ふる出雲の民’はこの背の高い連中を神と呼んだのは
想像にたやすい。
渡来人達による邑づくりは
‘ふる出雲’の人口を日本最大級に引き上げることになる。
そのアイテムが
青銅器であり
薬草であり
薬湯(温泉)であり
翡翠の勾玉であり
土木工事技術であり
酒造りであったろう。
‘ふる出雲’の息吹は
BC500年くらいから始まる。
様々な渡来人のリーダーを経て
最初に、この地を平定しまとめ上げたのが
半島からの渡来人=素戔嗚であった。
彼の武器は3つある。
鉄剣と薬草と造り酒である。
やおよろず
ふる出雲には、八百万の神々が鎮座する。